2017年4月16日(日)

【コラム】民放ラジオ番組の変遷(1)

RadiChubuスペシャル / カルチャー

日本に民間放送局が誕生して66年。
現在のAMラジオでは情報番組をはじめ、音楽番組、タレントのひとりトークまで様々なタイプの番組が放送されています。またパーソナリティも局アナ、放送タレント、文化人、アイドル、お笑い芸人と多岐に渡っています。

今回から数回に渡り「民放ラジオ番組の変遷」と題し、番組がどのように変化してきたのか、CBCラジオの歴史を織り込みながら振り返ってみます。

民間放送の第一声

昭和26年(1951年)9月1日の6時30分、日本初の民間放送局として第一声を発したのは、名古屋の中部日本放送、つまりCBCラジオでした。

「ちゅうぶにっぽんほうそう、JOAR、1090キロサイクルでお送りいたします。皆さん、おはようございます。こちらは名古屋のCBC、中部日本放送でございます。昭和26年9月1日、わが国で初めての民間放送、中部日本放送は今日ただいま、放送を開始いたしました」
宇井昇アナウンサーによるこのアナウンスから、民放の歴史は始まったのです。

ちなみに「キロサイクル(kc)」とは開局当時の周波数の単位で、1972年7月からは「キロヘルツ(kHz)」となっています。
また周波数そのものも数回変更されており、現在の1053kHzになったのは1978年11月です。

1950年代のラジオ番組

お手本はNHKのみという中で船出した各民放局ですが、開局から数年間はニュースやクイズ番組、歌謡番組、ラジオドラマ、朗読などのプログラムが中心で、台本のないフリートーク番組はほぼ皆無でした。
現在のように全国各局にまたがるネットワークもなく、ほとんどのコンテンツを自局で賄うという状況でした。

当時CBCラジオの人気番組は、開局日から始まった『ストップ・ザ・ミュージック』。レコードの回転数を変えたり逆回転させて、スタジオの観客に曲名を当てさせる公開クイズ番組でしたが、このように一家で楽しめる番組が編成の柱となっていました。
この傾向はテレビ放送開始(1953年)以降もしばらく続き、ラジオは常にお茶の間の主役でした。

その頃のラジオ番組には、主に放送局のアナウンサーや俳優、声優など話術のプロたちが出演していました。
CBCでも「劇団CBC」を結成し、主にラジオで活躍する声優を育成していました。
後に『ウルトラマン』(1966年)『ウルトラセブン』(1967年)のナレーションを務めた浦野光さんもこの劇団出身者のひとりです。

オワコンからの脱出

やがてラジオにとって受難の時代が訪れます。
昭和34年(1959年)、皇太子と正田美智子さんのご成婚中継をきっかけにテレビ受像機が大量に普及するようになったのです。
主役の座をテレビに奪われたラジオは、今で言うところの「オワコン」に成り下がってしまいます。

一方でテレビ受像機と同じく、ラジオ受信機も技術の進歩で小型化し価格も安くなりました。東京通信工業(現在のソニー)が日本で初めて開発したトランジスタラジオが爆発的に普及し、他の家電メーカーもこれに追従しました。

一家で聴く家財から個人で楽しむデバイスへ。トランジスタラジオの登場によってラジオの概念が大きく変わりました。

初期の深夜放送

トランジスタラジオは乾電池で動作することから、外へ持ち出せるようになりました。ラジオは屋外で接することのできるメディアとなったのです。

こうした背景からか、昭和30年代の半ばから深夜放送を実施する放送局が増加します。
今でこそ「深夜放送=若者向け」というイメージが定着していますが、昭和30年代当時は深夜労働者を対象としていました。

その内容ですが、ジャズやクラシックの間に女性の声優が詩を朗読したり、男性を誘うようなセリフを放つお色気(死語)路線。放送局によっては、キャバレーやラブホテルなどのCMも堂々と流れていたそうです。

CBCラジオでも労働者向けに『ナイトキャッスル』という番組を放送していました。当時のスタッフの証言によれば「名古屋は夜が早いので、ラジオで花を咲かせようと企画した」とのことです。

セグメント編成

家事や仕事をしながら、あるいは自分の部屋へ持ち込んで勉強をしながら、というラジオの「ながら聴取」が浸透してきたのもこの頃です。
そのことにいち早く気づいたのがニッポン放送でした。

朝夕には商工自営やドライバーを狙った情報番組、午前中から昼間には家事を終えた主婦向けの番組、深夜には受験生などの若者に向けた番組。つまり時間帯によって変動するリスナー層を想定し、内容をカスタマイズした番組を配置したのです。

これを「リスナーセグメンテーション」「セグメント編成」と言い、50年以上経った今なお、ラジオ編成の基本となっています。

深夜番組から開いた扉

ターゲットを労働者から若者に改めた深夜放送枠は、音楽が主役となりました。
司会者はDJ、すなわち「ディスクジョッキー」と呼ばれるようになります。「ディスク」とはレコード盤を意味しており、いかに音楽と密接だったかを示す呼び名です。

その先駆者となったのは、ニッポン放送の『オールナイトジョッキー』(1959年開始)を担当した糸居五郎アナウンサーです。
糸居さんはこの深夜放送枠に、最新の洋楽と話し手の個性を持ち込みました。アーティストのプロフィールや楽曲が生まれた背景、本国での評価といった情報をさりげなく織り込み、リスナーからの信頼とカリスマ性を獲得しました。

こうして深夜放送枠にはDJありきの「深夜番組」が誕生し、10代から20代のリスナーを獲得しはじめるのです。
(編集部)

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