2017年2月20日(月)

伝記映画公開中!チェット・ベイカーの壮絶人生。

後藤浩二 ジャズ魂 / カルチャー

あなたの心を開放する、ゆったりと流れる大人の時間『後藤浩二 ジャズ魂』
毎週日曜の夜10時半、ジャズピアニスト・後藤浩二のコレクションから名盤はもちろんのこと、隠れた素晴らしい演奏をご紹介。
ときには、ジャズボーカリストをゲストに迎え、スタジオミニライブや、ジャズミュージシャンにしかできない音楽の話、楽屋話などでお楽しみいただきます。

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マイルス・デイビスを凌ぐ人気の大スター

中部地区でも公開中の映画『ブルーに生まれついて』。この作品の主人公は、ウエストコースト・ジャズを代表するトランペッターであり、シンガーのチェット・ベイカー。
今回はチェット・ベイカーの破天荒な生き方についてご紹介します。

1929年アメリカ オクラホマ州生まれ。西海岸ではなく南部の出身。
教会の聖歌隊で歌う楽しさを覚えたといいます。
ちょうどそのころトロンボーンやトランペットを始めます。
そしてハイスクールを辞め、陸軍の軍楽隊に入ります。
これがボクは一番すごいなと思うんですが1952年、2度の軍隊生活ののち、ロスにきたビバップの創始者チャーリー・パーカーのオーディションに合格します。
パーカーのバンドに短期間参加します。23の時ですよ?僕は大学5年生でしたが(笑)

その後、LAに移り住んだバリトンサックスの名手、ジェリー・マリガンのカルテットに参加、そこでチェットの名が広まりました。 これが黄金期の始まり。
当時は無名のバラッド「My Funny Valentine」で脚光を浴び、チェット生涯のレパートリーになります。

トランペットは、当時のマイルス・デイビスを凌ぐ人気。
チェットは、白人によるアンサンブルを多用した明るいジャズ「ウエスト・コースト・ジャズ」の大スターでした。

歌手チェットの第1作は『CHET BAKER SINGS』。
トランペットだけでなく、歌手としても チェットの名を広めるきっかけになります。
シンガーとして残したアルバムの傑作で大ヒット作。26歳の歌声です。

栄光、転落、ドラッグ、復活、そして謎の死

1953年に結成した自身のバンドは、活発な活動を展開。しかし翌年にはドラッグにより療養生活。
59年にはドラッグで逮捕され、イタリアへ渡ります。
60年代はヨーロッパでライブや録音など活躍するものの、ドラッグでイタリアや西ドイツで逮捕されます。
体も壊し、生活も苦しくなっていき、生活保護も受けていました。

ドラッグのトラブルから前歯を失い、トランペットも吹けなくなり、演奏活動から消えました。
ドラッグの治療、入れ歯を入れ奏法も変えました。トランペッターには、歯が命。
73年秋、ニューヨークのナイトクラブ ハーフノート」をディジー・ガレスピーがブッキングしてくれました。復活ですね。
そして1974年チェット・ベイカー復活の録音、「With A Song In My Heart」(我が心に歌えば)を発表。

1975年、再びチェットはヨーロッパへ拠点を移し 多くの作品を残します。住みやすい場所だったんですね。
80年代は世界を回り、 86年と87年には日本でも公演、大成功を収めました。

しかし1988年5月、オランダ・アムステルダムのホテルの窓から転落死。58歳。
黒人ミュージシャンが主流だった50年代のモダンジャズ界の中で一世を風靡。
マイルス・デイヴィスをも凌ぐ人気とも言われながら、壮絶な人生を送ったチェット・ベイカー。

今日はウエストコースト・ジャズを代表するトランペッターであり、シンガーのチェット・ベイカーをご紹介しました。


M1 『CHET BAKER SINGS』から「I’ve Never Been In Love Before」
M2 『SHE WAS TOO GOOD TO ME』から「With A Song In My Heart」
M3 『Straight From the Heart〜The Last Great Concert Vol.2』から「My Funny Valentine」

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