2017年9月19日(火)

1984年の歌謡曲を、ダイノジ大谷が次々と解説!

大谷ノブ彦のキスころ / カルチャー

中日ドラゴンズのデーゲーム中継がある日は、13時57分までの放送となる『大谷ノブ彦のキスころ』。
しかし9/17は、甲子園球場の阪神対中日戦が台風接近のため中止となったため、14時からの1時間は“キスころ番外編”と題して、曲をたくさんかけていく企画をお送りしました。

選曲のテーマは「1984年の歌謡曲」です。今で言えばJ-POPですね。

1984年といえば

音楽評論家・スージー鈴木さんの著書『1984年の歌謡曲』(イースト新書)を絶賛しているパーソナリティー・ダイノジの大谷ノブ彦が、その内容を元に、自らの思い出を交えて次々と全12曲をかけながら語り倒していきます。

(以降、年代は西暦の下2桁のみ表記)

84年(昭和59年)といえば、大谷は小学5年生。85年に男女雇用機会均等法が制定され、翌86年に施行された後バブル景気が始まりました。“バブル前夜”とも言える時期です。

プロ野球では、広島カープと阪急ブレーブスが優勝。MVPは、打点王の衣笠祥雄選手と、三冠王のブーマー選手がそれぞれ獲得しました。広島が日本一。

2ジャンルの融合が成功

【1曲目】84年11月発売、チェッカーズ「ジュリアに傷心(ハートブレイク)」。作詞:売野雅勇/作曲:芹澤廣明。

チェックの衣装に前髪を垂らした独特のヘアースタイル。今で言うビジュアル系の走りみたいな、パンキッシュ(パンク風)な格好で、アイドルとロックバンドが融合した感じが世の女子たちを虜にしました。
「ファンタジックな歌詞の世界と、疾走感のあるメロディが、当時の時代を駆け巡ってる彼らを象徴してる」と大谷は言います。

【2曲目】83年11月発売(ヒットしたのは84年)、安全地帯「ワインレッドの心」。作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二。

安全地帯は井上陽水と組むことにより、ニューミュージックとロックを融合させ成功したバンドです。

昔『笑っていいとも!』か何かでタモリと対談した時、しゃべらずにひたすら歌を歌ってるのを観て、玉置浩二に興味を持った大谷。その後ソロコンサートを観に行ったら、歌で空気を支配する様子に圧倒されたとか。

伸びのある高音がターザンの雄叫びのようで、野性味があるので大谷は彼を“歌獣(かじゅう)”と呼んでいるそう。

角川映画の申し子

【3曲目】84年10月、薬師丸ひろ子「Woman “Wの悲劇”より」。作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂(松任谷由実)。

「玉置浩二の次は元妻かよ!」という声が聞こえてきそうですね(笑)。

これは角川映画『Wの悲劇』の主題歌ですが、その2作前は『探偵物語』で、同タイトルの主題歌も薬師丸が歌っていました。

主題歌「探偵物語」を手掛けたのは作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一のゴールデンコンビ。
実はこの両主題歌、コード進行がほぼ同じなんです。わざと松任谷由実がそうしたんです。つまり、ユーミンから大瀧への挑戦状だったんです。どちらが売れるかという。

しかも、急な転調などもあり非常にトリッキーなメロディーで、歌いづらい曲。しかし薬師丸はそれを華麗に歌いこなします。そう、彼女は歌唱力がずば抜けているのです。本格的な声楽のレッスンを受けてもいないのに。
それなのに朝ドラ『あまちゃん』では歌がヘタな役で、内心抵抗があったらしいですよ。

【4曲目】84年4月、原田知世「愛情物語」。作詞:康珍化/作曲:林哲司。

今度は角川三人娘つながり。角川映画『愛情物語』の主題歌です。

原田のデビュー映画は大林宣彦監督『時をかける少女』。角川春樹は大林監督に「原田知世で3作撮ってほしい」と頼んだにも関わらず、『時を~』の撮影現場で監督に全てを委ねる原田に嫉妬し、次作『愛情物語』の監督の座を自ら奪ってしまうのでした。原田知世は、どうかさせてしまうのです。

初めて好きになったタレントが原田知世だったという大谷。4作目の映画『早春物語』でのキスシーンが載った写真集を立ち読みして、書店の本棚の前で膝から崩れ落ち、人目もはばからず声を上げて泣いたといいます。
原田知世は、どうかさせてしまうのです。

苦い思い出も…

【5曲目】84年1月発売、テレサ・テン「つぐない」。作詞:荒木とよひさ/作曲:三木たかし。

大谷がテレサを好きになったきっかけは、香港映画『ラヴソング』。
テレサの数々の名曲を背景に、中国大陸から香港に渡った男女の出会いを10年間追い続けた恋愛映画です。これを観て大谷は「中国の人にとってテレサ・テンは人生に寄り添ってる歌手なんだ」と思ったそう。

【6曲目】84年6月、一世風靡セピア「前略、道の上より」。作詞:セピア/作曲:GOTO(後藤次利)。

まだおニャン子クラブやとんねるずに楽曲提供する前だった後藤次利。
一世風靡セピアの哀川翔が「あの人の曲かっこいいから、作ってもらおうよ」と言ったことからできたのがこの曲です。

2002年『M-1グランプリ』の決勝に出場したダイノジ。この曲をボケの中で歌うシーンがあり、準決勝までは異様にウケていたんだとか。
しかし決勝では緊張したのかイマイチ。審査員のラサール石井に「長い!」とダメ出しされ、以来トラウマソングになったんだそう。

【7曲目】84年6月、サザンオールスターズ「ミス・ブランニュー・デイ」。作詞・作曲:桑田佳祐。

大谷いわく“サザンがYMOやってみました”という曲です。テクノを取り入れる風潮に乗ったわけですが、当時深夜番組でもてはやされた女子大生を風刺した歌詞にしたのが、桑田らしいところ。

ポエムを読んでみたい

【8曲目】84年9月、吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ」。作詞:売野雅勇/作曲:大沢誉志幸。

ここから大沢誉志幸3連チャンです。大沢が「日本語を乗せられるなら乗せてみろ」と洋楽を意識して曲を作ったところ、見事に売野が詞を乗せました。それに吉川の英語風の歌い回しがマッチしているのです。

【9曲目】84年9月、大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」。作詞:銀色夏生/作曲:大沢誉志幸。

モテたくて銀色夏生の詩集を持っていた大谷は、高校のポエム同好会に所属。初めて書いたポエムは「レイニー・デイ」だったそうです。大谷の黒歴史です。

【10曲目】84年8月、ビートたけし「抱いた腰がチャッチャッチャッ」。作詞:大津あきら/作曲:大沢誉志幸。

たけしに憧れてお笑いを目指した大谷は、浮かれたパリピ(パーティーピープル)ソングなのに、恥ずかしそうに歌うたけしがたまらなく好きだと言います。照れながらお笑いをやる姿勢に男の色気を感じると。

【11曲目】84年11月、中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」。作詞・作曲:井上陽水。

中森明菜は、曲を作ってほしい人を自分で選んだり、「北ウイング」というタイトルを先に考えて曲作りを頼んだりと、セルフプロデュースの人だったそうです。

【12曲目】84年2月、松田聖子「Rock’n Rouge」。作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂。

岡村靖幸やスピッツの草野マサムネが絶賛するほど、その歌唱センスは抜群。もちろんアイドルとしての記号的な魅力も素晴らしいと語る大谷。

以上です。また別の年代でやってもらいたいものですね。
(岡戸孝宏)

アーカイブス

同じカテゴリー

|
facebook twitter hatebu line