2017年8月11日(金)

熱烈ドラファンが持つ、ナゴヤ球場の電球への想い。

多田しげおの気分爽快!! / Chubuネタ

現在ナゴヤドーム3階のドラゴンズワールドで「熱烈ファンが集めた懐かしのドラゴンズグッズ展」が開催されています。
ドラゴンズファンならば、ナゴヤドームで試合を観戦する際に見ていただきたいグッズ展です。

8/9は、このグッズを集めた熱烈ファンが『多田しげおの気分爽快‼︎』に出演しました。
その熱烈ファンとは、CBC論説室長の北辻利寿です。

国際電話で試合を聴く

「私が集めたコレクション120点を、展示させていただいております」と北辻論説室長。
普段は厳しく報道に携わりながら、かたや生粋のドラファンです。

まずは、北辻室長のドラゴンズ愛が分かるエピソード。

報道一筋の北辻室長は、以前TBS系列のJNN特派員としてオーストリアの首都、ウィーン支局に駐在していました。その時でも、ずっとCBCラジオの野球中継を聴いていたと言います。
いったい、どうやって聴いていたんでしょうか?

「特に1994年の10・8決戦。ナゴヤ球場で中日と巨人が最後に優勝を争った試合です。その時は、どうしても最後を聴きたかったもんですから、実家の父親に頼んで、国際電話を結んでもらって、受話器をラジオにつけてもらって、負けるシーンを聴きました」

10・8決戦とは、日本プロ野球史上初めて、リーグ戦の勝率が同率首位で並んだチーム同士が、最終戦で直接対決して、リーグ優勝チームが決まったという試合です。結果は3-6で中日が負け、巨人が優勝しました。

「その瞬間だけは、どうしても聴きたいと思いまして。やはりスポーツ中継は、生で聴いてこその中継ですから」

電話代が高そうですが。

「これは、こちらからかけるのではなく、実家にお願いしました。ちょっとそれは、親に甘えさせていただきました」

試合の寸評は日記帳に

大熱烈ファンの北辻室長、そのドラゴンズグッズの収集はいつから始めたんでしょうか?

「昭和40年代。ドラゴンズが20年ぶりに、ジャイアンツを破って優勝した1974年、昭和49年ぐらいからグッズ収集は始まっています。
今でこそ、グッズってナゴヤドームでたくさん売ってますが、昔はそんなにありませんでした。最初の頃集めたものというと入場チケット。それとイヤーブック。あとはカレンダーなどがあります」

「イヤーブック」とは、現在のファンブックの前身です。

「イヤーブックは、当時の表紙が、星野仙一さん、高木守道さん、谷沢健一さん、大島康徳さん、そして田尾安志さん。当時のスターが一人ずつ表紙に載っていて、歴史がすごく良くわかります」

一方の入場チケットは、日記帳に挟んでいたそうです。
いつ観戦したかを振り返るものかと思いきや…

「日記帳にチケットを挟んで、ドラゴンズの試合の寸評をずっと書いてました」

これにはアシスタントの小倉からも笑いが出てしまいました。

さらに「当時はナゴヤ球場で…」という多田に「中日球場です。経営は中日スタヂアムですから」と北辻室長の細かい指摘。さすがです。

ちなみにナゴヤ球場の経営は、1975年10月から株式会社ナゴヤ球場になります。それまでは株式会社中日スタヂアムでした。

レアなコレクション

ちなみにコレクションでレアなアイテムは何でしょうか。

「名二塁手で、監督も二回務められました高木守道さんの貯金箱。これ珍しいんです。二塁の守備をされている姿の貯金箱です。これは自分でデパートで買いました」

そして当時の子供向けファンクラブで「少年ドラゴンズ」というものがありました。年会費500円。

「そこでもらえた選手のサインが入った座布団に使うクッションがあるんです。当時は中日スタヂアム、まあ、ナゴヤ球場時代というのは、外野も長椅子で硬い椅子だったもんですから、それを持って応援してね、ということだったんですね」

その他には、CBCラジオが火をつけた中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ」の初回盤レコードが展示してあります。
作詞・作曲は、アニメ『タイムボカン』シリーズの主題歌でお馴染み、山本正之さんです。

独特過ぎて誰も持っていない

これはどんなにファンでも、ドラオタクでも持ってないぞ、というものは?

「ナゴヤ球場、レフトスタンドの照明灯の電球ですね。当時ナゴヤ球場には照明灯がありまして、もう19年前、1998年にそれを撤去するっていう時にひとつもらってきました」

簡単にもらえるものなんですか?

「当時私は報道のデスクをしてまして、取材に行くチームに、もし廃棄処分するならば、そして頂けるものならば持ち帰ってよ、とお願いしたら頂けました。1メートルぐらいのものです」

あの電球って、そんなに大きいんですね。しかし、取材に行った記者もどうやって持って帰ったんですか?取材は乗用車で行ってますよね。

「当然大きすぎて車には積めないんですよ。トランクに入れても、蓋が締まらないので、トランクの蓋を紐で結んで持って来ました」

「無茶苦茶言うデスクやな」と呆れる多田。

「ちゃんと交通ルールを守った上で持ってきてますからね。そこに近藤貞雄さん(1981年~1983年まで監督)がCBCの野球解説者だったもんですから、『野武士野球で半世紀』というサインをいただきました」

しかしいくら熱烈なファンと言えど、選手が身に付けたわけでも、何かの記録を達成したわけでもない照明を、これほど大切にしているのはなぜでしょう?

「雨の日も、風の日も、晴れの日も、私たちファンって、毎日は見に行けないこともあるんですけど、その電球はずっとドラゴンズの歴史を、レフトスタンドから見守っているわけですよ。
だから、本当に”目”だなあと。”歴史を見つめる目”だなあと思って、どうしても欲しかったんです。ファンの代わりにも見てくれたなあと、非常に愛しい電球ですね」

ドラゴンズファンになったのは宿命

現在57歳、もうすぐ58歳になるという北辻室長。

「もう生活の一部。好き嫌いのレベルではない、というのが中日ドラゴンズです」

「そういう人生は、どうなんですか?」と漠然と聞く多田に、

「中日スタヂアムの近くに生まれ育った人間としては、ある種、宿命でもあると思います」

北辻室長の答えには、何の迷いもありません。

展示は延びる可能性もある

「先ほどの照明灯も、実は去年『愛しのドラゴンズ! ファンとして歩んだ半世紀』という本を出させていただいた時の、裏表紙にその写真もありますので」

ちゃっかり自著の宣伝もする北辻室長。

「ナゴヤドームによりますと、展示は9月24日の広島戦、ドームでの最終戦までなんですけども、もしドラゴンズが、例えばクライマックスシリーズに出るとか、日本シリーズに出るとか、そうなると展示は延びますよね」

「さすがにドラゴンズの熱狂的ファンやな。でも正直、それはないと思う」と多田。

「わかりません。最後の最後まで、ファンは望みを捨てちゃダメだし、ナゴヤドームにぜひ詰めかけていただきたい」と北辻室長、さすが熱烈ドラゴンズファン、燃えよドラゴンズの歌詞が無意識に入っています。

「そして皆さんにも、ぜひ、それを共有していただきたいと思います!」

チームがどんな局面でもドラゴンズファン人生を真っ直ぐに歩む北辻室長でした。
(尾関)

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